Friday, December 12, 2014

ユダヤ問題

何故よりシンプルな分析がなされないのだろう?

「迫害」の歴史はナチス・ドイツに始まったわけではない。

ではなぜわざわざ「名指しで」迫害される、ということが散発的とはいえ続くのか?

私の考えでは、「ユダヤ人」と称される人々が結束して何かをなしている、なそうとしているから、というのは全くの空想(「陰謀論」に象徴されるとおり)で、問題の根源は、とある一部の「ユダヤ人」として知られる人々が、常に権力者と関わり合いを深く持ち続けているというのが根源的な問題だろうと思う。

「ユダヤ人」と称される人々にまつわる、一つの特徴として、金融業に関わってきていることが挙げられるが、これは何も「ユダヤ人」と呼ばれる人全員が金融業しかしていない、というものではない。
つまり、一部の金融業者が、シンプルに、サバイバルの一環として、「どのようにすれば自らの金融業が持続可能か?また、望ましくは拡大発展可能か?」を検討してきた。その一つの解が、「時の権力者による貨幣に対する信用の保証」であった。
現在の主権国家を単位とする国際社会の構造が確立することと、金融業者の関わりというのは密接で、ラフな視点でまとめれば、共存共栄を図ってきた、ということ。権力者、金融業者の双方が、より安定的なしくみを模索してこうなったのだろう。

問題は、現在の主権国家単位の体制が確立する以前には、紆余曲折があったということだ。
つまり、比較的安定した主権国家が固定される以前には、各地域において権力者同士の闘争が継続していたということだ。
よって、自らの金融業の持続安定的な発展を模索するに当たって、権力者による貨幣への信用保証が枢要である、との方針では、権力闘争に巻き込まれやすいということは自明であろう。

勿論ユダヤ教を背景とする、見た目の違い(風習、慣習も含む)、考え方の違いなども影響しているだろう。
歴史的に「放浪の民」であったことも関係があろう。
より深刻であろうと思われることに、権力闘争に巻き込まれやすい一部の者が扱うものが「お金」であった、ということもある。
何故か?
「お金」は普通の人も使うようになってきたから。つまり、普通の人が「富」の形として、「お金」を認めるようになっていった、ということ。
このような状況で、「どうやらお金はユダヤ人が握ってるらしいぞ」という噂が流れれば、「ユダヤ人」というものに対し、否定的な感情が湧き起りやすくなることは想像に難くない。
ましてや、巷で一風変わったグループと見なされるなら、「ユダヤ人」なるグループが、束になって何かグループの利益最優先で行動しているのではないか(「お金」という「富」の独占など)?と妄想し始めるだろうことも容易に想像されよう。

ユダヤによる金融支配、というものも、どれほど「支配」しているのか?は分からない。(多分全てを握っているということはない)
但し、一般庶民では想像もできないぐらいの額を、日々の生業として動かし続けている「ユダヤ人」が存在することも否定できないだろう。

おそらく、金融グループのトップ達やイスラエルの権力中枢にいる人たちの感覚では、「世界支配」なんて「全くの妄想」という程度なのだと思う。
でなければ、彼らが行動、言動を少し修正するだけで「ユダヤ人」と称される人々全体に対するリスクなど随分軽減されるはずなのに、全くそのような動きを見せていない理由が分からない。
どちらかというと、主権国家としてのイスラエルは特段巨大帝国を築けるような存在でもなければ、敵対国に囲まれていて、とっても危うい存在。
金融業の立場としても、日々の生業なのだから、これが途絶えれば、ただの流民になってしまう、脅かされた存在、ぐらいの認識なのだろう。

「ユダヤ問題」というのは、権力者や、持てる者たちの思考パターンに根本的な転換が見られなければ、引き続き繰り返されるだろう。

これは決して民族問題ではない。経済問題に見えて経済分析のみではどうにもならない。国際政治の問題か?主権国家の中枢にいる人々に絞れば、彼らには「国際政治の問題」として取り組んでもらわねばならないだろうが、民をどう治めるか?ということなのだから、エライ人たちだけで頭を捻っても答えなど出まい。しいて名称を付すなら「人類問題」だ。

(1)「お金」を生存に不可欠な「富」と認識するとして、どの程度が理想的なのか?
(2)「富」の公正な分配というものはどういう姿で、どのように実現可能であろうか?

(1)「お金が人生の全てではない」ことは皆知っている。けど、では具体的に何をどう追求すればよい?「お金」でないとしても、サバイバルに必要な「富」というものはあって、これを追求しない、ということはあり得ないだろう。程度の問題なのだ。「がつがつ」はダメだけど、全員が「ああ。生きていける分だけもらえるんならそれでええよ。」なんて言うわけもない。そもそも人によって「生きていける分」が違うし、多分変わるし。

人生をどういうスパンで見て、どのように運べれば(運べるだろうと予測できれば)より不安が少なくなるだろう?


(2)現時点で稼働しているシステム(「富」の分配に関わるもの、国家や官僚組織や企業、税制、社会保障制度などなど)について、私たちはどのように理解すべきか?勿論ついている職責によって異なるだろうが、私が興味あるのは、システムの運営に直接関わらない(関わってはいないであろうと認識している)、大多数の人々にとっての理想的な態度、関わり方とは??という問題。(「何か」を敵視?問題視?することは避けられないだろうし、種々検討を継続していくモチヴェーションとしては、敵視や問題視は必要ともいえる。勉強しなければならないのは間違いないが、一体「何を」「どのようにして」勉強すべきだろうか?などなど)



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