Friday, April 23, 2010

Language School

Portugues para estrangeiros

試しに行ってみました。
10レッスンで250ユーロ。
高いか?安いか??
ま。こんなもんなんじゃろな。。

合流させてもらったコースは自分を含め6人。
イタリア3、チェコ1、ドイツ1、日本1。

みんなポルトガル語は初心者とはいえ、イタリアの人々は「やっぱ違うよ」とか言いつつ実際の”距離感”は近いようだ。

語学学校というのは、なるべくその学ばんとする言語で話すこと!
これが理想なのだけれども、初心者なわけだから話せるわきゃあない。
ということで多数派とか、英語に流されがち。
なんだけれども。
どっからどうみてもアジア人の自分と違って、そりゃ細かいとこは種々異なるのであろうが、欧州の方々って、、、そんな違わないのよね。。見た目とか。
多分そんなわけで、先生も冒頭は英語だったのが、どんどんポルトガル語率が上がってくる。
それでも「先生。全く分かりまへん。」という雰囲気にはならず、ともかく時間の流れは滑らかなのね。
今日はみんな初めてのクラスだったらしいのだが、多分そうこうしているうちにほぼポルトガル語で授業が進んでいくんだろうなぁ、、、と。
まさに理想的な環境ではないか!語学学校として。

語学学校という環境において、学ばんとする語学をしゃべれるかどうか?理解できるかどうか?というのはどんな生徒にとってもクリティカルな問題。

なので「できない」という現実をあまりに如実に突きつけられると、多くの場合、その後の意欲に悪影響を及ぼす。

このように、自分自身が大切と認識している事柄に対する肯定/否定というのは、日本語にすると大げさになってしまうのだけれども、”自己存在の肯定/否定”ということになってしまう。

大げさな文句の割りに、まあ分かりやすく言えば、肯定の場合はほぼ問題ないけれども、否定となると、なんとなく授業に行きたくない→行ってもやっぱりおもしろくない→リタイア、、、とね、、。

こんな分かりやすい経緯をたどらない場合でも、所与の目的(語学学校の場合は語学の習得)達成という観点からすると、望ましい結果(成果)は得られにくくなってしまう。

本日のトライアル授業を見ていて感じたのが、「ここにはそういった決定的な”否定”を発生させにくくする”力”がはたらいておる!」ということ。(んんーーー。感じます。。感じます。。。きてますよ~。。。という感じ!?)

「できなくて当たり前じゃん。ビギナーさん。」(先生)
「できないけんどもやるだけやってみるぜ。」(生徒)
「語学の学習ってこんなもんでしょ??(最初は誰もできない)」(一同)
「理想的な授業進行はさておき、、人間同士、、なんとかかんとか授業って進むもんでしょ?」(一同)


なんかそんな感じの空気が流れているというか、、
見た目の相似性とか、実際の言語的な近さとかは多分強烈なインパクトを持つのだろうけれども、そういった要素を除外しても、”お互いの自己存在の肯定”。そこへ向かっての流れに乗る、、というのは誰にでも可能なんではないだろうか??

だってそもそも僕たちってはなっから他人の自己存在を否定してやろうというふうには行動しないものなんだし、そうであるならば、”みんな幸せ”へ向かっての行動だって少し考えればいくらでも実現できそうに思えるもので。。

というわけで(?)ポルトガル語を学ぼうとしている方は、是非こちらへ。

World Puzzle
http://www.worldpuzzle.pt/


1ヶ月もすれば多分みんなペラペラよ。(知らんけど。。。)
自分?
はい。ビザ取ってから考えたいと思います:)

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