Friday, July 17, 2015

もう少し力抜いてもいいじゃない

http://kiwamono.blog.so-net.ne.jp/2010-03-09



"これからの時代を考えたときの「各自の生活を美しくして、それに執着する」とは、どういうことなんだろうか。"

まず、本記事のタイトルは、冒頭の3つのリンク記事に対する批判、感想などではありません。

2番目の記事の「反対ではなく平和を祈る」のインパクトが強いので、色々と考えさせられた、ということはありますが。。。

で、1番目と3番目の記事にも引用されている吉田健一氏のことばを思い出したのです。
そして、3番目の記事から引用させていただいているとおり、「各自の生活を美しくして、それに執着する」とは具体的にどういうことなのか?
それを考えることこそが大事なのではないか?と思うのです。
特に1番目の記事に、吉田氏の他の文章がレヴューされていて、それらがいいヒントになっているな、と。

私の考えているのは、「各自の生活を美しくして、、、」というのは、自己との対話というか、己の大切なものとは何か?という問いに関わっているのだけど、日本の特色として、それほど自己とは何か?それが大切に思うものとは何か?というようなことに対して、厳密に定義したりしない。

で、厳密に定義しないことというのはいけないことなのだろうか?と。

現在の安保関連法案への反対運動を見ていて感じるのは、どちらかというと、何事も厳密な定義に基づいて、論理的に議論を組み立てていけば、立憲主義や国民主権をないがしろにするような国会運営、政局運営は許されないことというのが明らかにされ、もって暴政の芽を摘むことができる。或は、将来的な戦争参加、それに伴う国民一般への不利益・不幸も防ぐことができる。そんな感じのまことに全うな正義。の主張。

ただ、もしも運動が功を奏して、法案が廃案になったとして(そうはなりそうにないけど)、廃案に追い込んだという事実以上の何かを得られるのだろうか?つまり、憲法9条が守られた!と喜ぶことはできる。その後の話。

意地悪な言い方だけど、憲法9条は現行憲法の成立以来ずっとあった。その状態が維持されるというだけで、私たちは安心して暮らしていけるのだろうか?

で。「平和を祈る」もいいけど、私はどちらかというと、「各自の生活を、、、」の方が大切と思うのだ。
さらりと言っているけれど、実際めちゃくちゃ難しいというか、チャレンジングなことだと思う。
各自なんていうぐらいだから、本当に様々な生活があることが想定されているし、美しくというのは正しいとか立派とかどうしても階層的・排他的になりがちな価値観ではない、より普遍的なものを追求している感じがする。
さらには執着だから。。
これこそがわが同朋にとっては最もチャレンジングなのではないか?と思う。
私は、吉田氏の文章の文脈では、この執着というのは愛に近いと理解する。
執着にしても愛にしても、ただ、、インパクト強いのよね。。インパクト強いというのは、聞く者のやる気を鼓舞してしまうというか、一生懸命やんなきゃウソなんでないの?と思わせてしまう。
もっとこう、緩い感じでいい。
何故なら、一生懸命各自の生活を美しくして、それに執着してみて、見えてくることは、必然的に自他の逃れられない相対性だから。一生懸命考えてみれば、絶対「自分だけのが絶対美しい」なんて気持ちにはなりっこないから。
世界平和みたいな大仰な理想も、全てそこからしか始まらない。
何処からどう見ても間違っているようには見えないからといって、それに全てを依拠させようとすることは危険だ。
どちらかというと、世界平和が中々成らないのは、絶対正しいとかいうものに人間はどうしても頼ってしまうから。本当の強さ?執着心?というのは、敢えて曖昧さを許容することにある。他人から狢のようだと揶揄されようが、「まあまあ。とりあえず飯食って酒でも飲みましょうや。」って言えるような。強く主張しない信念があったっていい。というか。。いろんな人にいろんな人生とか感じ方があるのだから、信念というのは念じ、口ごもるようなものであるべきではないか?美しさってそういう真に念じるところから滲み出るようなものなのではないか?行動したり、発言したりしなければ何も始まらない。そう思いすぎているのではないだろうか?
真の意味での自他の尊重。
勿論行動することも発言することも尊いこと。でもさらに発言できない行動できない本当に様々な事情だって尊ぶべきなのだ。だって、そんな事情を日々生きているのだって生身の人間なんだから。
唯一絶対なんかより、とりうる選択肢は多い方が絶対よい。
特に勤勉猛烈系の人は、のほほん怠惰系を見て怒ったり、蔑んだりせず、それのどういたっところが広く社会的に問題なのか?利点は本当にないといえるか?勤勉猛烈に検証してもらいたいと思う。

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Thursday, July 16, 2015

安保

考えさせられる。
国会前や大阪梅田等でも沢山の人々が集まっているようで。
考えさせられるきっかけは、Twitter上で国会前に給水車、で、ありがたい、という感じのツイートを見かけたことかな。。

現行憲法第9条を実質無効化するということには、私は反対。実はそんなことよりも、日本が軍隊を持っていることに反対。
ものすごい左翼思想だと多くの人は感じるだろうけれど、左翼なんてもんではない。どちらかというと究極のフェミニズムというか、徹頭徹尾陰の存在を主張したい、という思想です。
日本の文化の特色の一つに、この陰の方にもついつい思いを馳せてしまうということがあると私は感じている。
表があれば裏もある。という感じかな。
そういう感覚というのは多分何も日本人特有の感覚ではないと思う。
相当乱暴にざっくり表現すれば、現代人はついつい馳せてしまう陰の方への思いを、様々な理由によりあたかもなかったかのように扱わされ、それを継続しているうちに陰なんてものはないかのように振る舞い考える人が増加してきている、ということだろう。
言葉を失うということはげに恐ろしいことだ。

で。それで何で日本は軍隊を持つべきでないと考えるか?
ついつい陰の方へと思いを馳せてしまうような人に、近現代風の戦争なんてやってもらっては困るから。
近現代風の戦争というのは、国民国家?主権国家同士の戦争。
徴兵をはじめとして、ありとあらゆる資源を国家が総動員して戦うような戦争。
そんな強大な権力をもつ現代の主権国家ではあるけれど、各種運営を担うのはただの人。
先の大戦などを踏まえ、散々言われているとおりで、そんなただの人々、主権国家が発動する強権に見合うだけの責任や義務は負えない。と多分日本人の多くが感じている。感じているから本当にそうなる。誰も「おれが責任取る」なんて言わないし、そんな風には振る舞わない。上のお話。
で。下々は?これもやばい。だってついつい陰の方にも思いを馳せてしまうんだもの。様々複雑な思いを抱えつつ。。でも結局長いものには巻かれちゃうのよね。
様々複雑な思いを抱えているから、そりゃ実際のところはまあ様々醜いというかえぐいお話も出てくる。
そういうことがなかったとしても、それでも上は自らが行使する権力について責任も義務も感じないし、下は下でかなり容易に「仕方ない」と思ってしまう。そんなんで一度きりの人生、命が扱われてしまうのってどうよ?ということ。
人の人生なんて切ないもんだけども、一人一人の命の尊厳みたいなものを諦めてしまうというのはよくないことと思う。特にまだ人生の世知辛さなんて経験していない幼子とか、これから生まれてくるであろう命のことを想うとね。「ほんじゃなんで俺ら産むねん!」ってことじゃん??産み落とされる側からすれば。尊厳をあまりにあっさりと諦めるってことは。
命の尊厳というのは日本人であろうと外国人であろうと変わらない。よって軍隊なんて普通の主権国家並みに持って、戦争なんて手段にうったえてはいけない。だって自国民の命だって相当軽々しく扱いつつ、他国の人々の命まで奪ったりするのよ?行使するパワーに見合った責任や義務を負う気持ちもない人に殺されてみるってどうよ?ってことで日本は軍隊なんてもっちゃいけないの。

そもそも責任とれないし。いやいやそれは分からんでしょ?とか変えてかなきゃ!とかいう男前もいると思うけど。歴史を振り返って、無理だから。そもそも日本人ってそんな男前じゃないというか男前にはなりきれないのよ。で。男前でないと生きていけないのか?というとそんなことはない。それは個人レベルは勿論、国家みたいな大括りのレベルでも言えること。軍隊持たないで口先八丁だけでなんとかやってけないか?ひとまず言えることは、男前になりきれない、という特性にだって利点はあるということだ。当の本人たちがその価値をあまり積極的に認めていない。そんな風に感じられる今日この頃。安保関連法案については、審議の経緯とか、採決の方法とか、全て問題ありと思うけれど、それに反対する運動が、どうも空々しく見えてしまう。多分私たちは真剣です。と主張するだろう。こういう時に行動を起こさないでいつ起こす?とも言えるだろう。言い分は十分に分かるのだけど。本当の危機というのはそこじゃないと思う。開国以来?明治以降?誰も男前に(西洋風に)「男前になりきれなさ」を分析して、なりきれない本人たちに「それは使いようによってはいいものだ。でもこういう点は注意しよう。」みたいな貢献を成してこなかった。それぐらいにわれわれの「男前になりきれなさ」は徹底しているものだ。と。せめてこの程度には自らに向き合い、それに基づいて自他ともに愛せるようになってもらいたいと願うのです。


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